研究内容

私達の研究室では、量子化学計算、分子動力学計算、情報科学とこれらの融合領域における、新しい理論と計算法を開発しています。独自の技術を活かすことで、他ではできないアプリケーションを展開し、複雑な分子の構造、反応機構と機能を解明します。また、応用計算の中で見えて来た課題を方法論開発へフィードバックし、基盤技術を構築します。このような連環から計算情報化学の最先端をリードします。

新しい理論と計算法の開発

1. 複雑分子系に対する分子振動理論の開発

分子振動解析は複雑な分子の相互作用を原子・分子レベルで理解できる強力な方法の1つです。分子の振動状態は振動Schrödinger方程式で記述されますが、これを解く計算負荷は原子数とともに莫大になることが大きな課題です。私達は、非調和ポテンシャルを量子化学計算により生成するMultiresolution法[1]、振動Schrödinger方程式を効率よく解く振動擬縮退摂動論[2]などを開発し、独自のプログラムSINDO[3]に実装・公開しています。現在、タンパク質や高分子の振動スペクトルを計算する新しい手法開発が進行しています。

  1. K. Yagi, S. Hirata, and K. Hirao, Theor. Chem. Acc. 118, 681-691 (2007).
  2. K. Yagi, S. Hirata, and K. Hirao, Phys. Chem. Chem. Phys. 10, 1781-1788 (2008).
  3. 八木清, アンサンブル 24, 125-132 (2022).

2. QM/MM分子動力学計算の高速化

QM/MM法は、化学的に興味のある部分系を高精度な量子化学(QM)計算で扱い、溶媒や生体分子などの環境を低コストな古典力場(MM)計算で扱うマルチスケール法です。私達は、分子動力学(MD)計算プログラムGENESISにQM/MM法を実装し[1]、高い並列性を持つQSimulate-QMと融合することで、従来の10倍以上の高速なQM/MM-MD計算を達成しました[2]。現在、QM/MM法と拡張アンサンブル法を組み合わせた効率的な自由エネルギー計算法の開発が進んでいます。

  1. K. Yagi, K. Yamada, C. Kobayashi, and Y. Sugita, J. Chem. Theory Comput. 15, 1924-1938 (2019).
  2. K. Yagi, S. Ito, and Y. Sugita, J. Phys. Chem. B 125, 4701-4713 (2021).

3. 分子情報に基づいた密度汎関数理論の開発

人工知能や機械学習は科学研究に革新をもたらし、2024年にはRosettaやAlphaFoldの開発者らがノーベル化学賞を受賞しました。これは、AI技術がタンパク質構造解析などの難問を飛躍的に進展させた成果です。量子化学計算で広く用いられる密度汎関数理論においても、タンパク質構造の予測と同様に多くのパラメータ問題が存在します。本研究室では、理論的な制約を基盤として実験や高精度計算に依存しないパラメータを決定し、さらに機械学習によるフィッティングを組み合わせた手法を開発しました[1]。現在、更なる高精度化を目指して新たな汎関数を構築するプロセスを開発しています。

  1. K. Terayama et al., J. Chem. Theory Comput. 19, 6770-6781 (2023).

構造・反応機構・分子機能の解明

4. 機能性高分子膜の分子機構解明

分子やイオンを選択的に透過・分離する機能性高分子膜は、水ろ過や電解質膜など様々な用途に利用されており、エネルギー・環境問題で重要な材料です。その性能向上には分子機構に対する理解が必須です。つまり、高分子の界面やアモルファス部分がどのような構造をしているのか、また、そのような環境で小分子がどのように運動するのかを知ることが鍵ですが、その詳細はよく分かっていません。私達は、独自の技術である重み平均法と分子振動解析を駆使し、逆浸透(RO)膜中の水分子透過機構を明らかにしました[1,2]。現在、イオン交換膜や電解質膜を対象とした研究が進んでいます。

  1. D. Surblys et al., J. Membr. Sci. 596, 117705 (2020).
  2. 八木清, 溶液化学研究会誌1, 30 – 42 (2022).

5. 蛋白質と小分子・光の相互作用解明

蛋白質は、生体内で様々なコンフォメーション変化を起こすことで、生命活動に必要な機能を達成しています。多くの場合、その駆動力となっているのは小分子(基質)の結合や光吸収のようなイベントです。私達は、QM/MM-MD計算を用いて、基質結合や光吸収後の化学反応を追跡し、その分子機構を解明します。最近、有機合成化学と共同し、標的蛋白質を認識・結合した時にのみ光る蛍光プローブを設計しました[1]。さらに、情報科学的ツールを駆使し、蛍光プローブの高度化に取り組んでいます。現在、酵素反応や光駆動蛋白質への応用が進んでいます。

  1. K. Hanaoka et al., J. Am. Chem. Soc. 144, 19778-19790 (2022).

6. 量子化学計算に基づく強力な分子生成AIを目指した応用計算

当研究室では、高分子・金属錯体を対象に、量子化学計算の立場から複合的な物質の性質の予測を目指しています。例えば、有機発光ダイオードや有機薄膜太陽電池などの新規材料では、性能発現に関わる電荷分離状態の正確な評価が不可欠です。私たちは、電荷分離状態を記述する密度汎関数理論を実装し、有機薄膜太陽電池系に適用して電荷分離の起こりやすさを解析しました[1]。さらに、酸解離定数や酸化還元電位を基に生体系分子の電子移動経路を計算し、提案しています[2]。これらの計算データの集積を進めることで、将来的には分子生成AIの構築を目指しています。

  1. T. Fujita, T. Matsui, M. Sumita, Y. Imamura, and K. Morihashi, Chem. Phys. Lett. 693, 188-193 (2018).
  2. S. Maekawa, T. Matsui, K. Hirao, and Y. Shigeta, J. Phys. Chem. B 119, 5392-5403 (2015).